かなり古い話ですが過去に競艇場で観客が暴れ、それに対する主催者の対応が原因で開催停止を余儀なくされた事件がありました。
児島競艇場で初めてSGが開催される予定だった1968年、競艇の開設を記念して行われるモーターボート記念競走(ボートレースメモリアル)において当時、児島競艇場で発生していた騒擾事故に対する対応が不適切だったということで競走法違反として運輸省から一ヶ月の開催停止命令が出されてしまい、初SGの中止を余儀なくされたという事故について詳しく説明していきます。
この開催停止命令は業界初ということもあり当時は話題になっていたとのことでした。
ボートレース児島の騒擾事故(昭和43年)
昭和43年9月にボートレース児島で起きた騒擾事故(そうじょうじこ)について説明します。
まず、騒擾とは集団による暴力行為などを指すということを頭に入れておいてください。
当時、競艇だけに限らず競馬や競輪などの公営競技において騒擾事故は多く発生していました。
その多くの理由が予想が外れたことによる腹いせの暴力行為・破壊行為でした。
今では考えられませんが、当時の時代背景なども関係しているのでしょう。
昭和40年代、競艇の売上増加や利用者増加に伴って騒擾事故も同時に増えていました。
児島競艇場の事件においては本命艇が4着以下となってしまい、これを当てられなかった数多くの人が暴徒化してガラスを壊すなどの施設破壊をしたり各管理室に乱入したりしました。
主催者である倉敷市はこのままでは収拾がつかないということで現金を支給するというこれまた今でも信じられない行動をとってしまったのです。
これが競走法違反となり、当時管轄していた運輸省から業界初となる一ヶ月の開催停止命令が下されてしまいました。
この停止命令期間中こそが児島競艇場で初となるSGのモーターボート記念競走が行われる日程だったのです。
記念すべき初めてのSG開催(当時はグレード制度がないものの注目されていたタイトル)にも関わらずこのような事故で中止を余儀なくされました。
お金で騒擾を収集するという処置は翌年の昭和44年にも唐津競艇場でも行われていたことが発覚し、同様に開催停止命令が出されました。
昭和50年代に入ってから騒擾事故は減少しますが平成6年になってから常滑競艇場でもまたまた騒擾事故が起きてこちらも開催停止命令が出されています。
前例があるにも関わらず児島競艇の騒擾事故以降も同様の現金を配るという処置がされていたされていた事にも驚きを隠せませんが当時はよくあることだったのでしょう。
確かに昔は学生運動や政治運動において一般人が集団になって攻撃や主張を行っていたことを考えると本命艇が当たらず「八百長だろ!!」と暴徒化したことも普通に思えますね。
それにしても本命艇が着外になっただけで観客が集団で暴徒化し、事態を収集するために主催者がお金を支払って解決とは驚きですね。
今は万が一、観客が暴徒化すれば即逮捕という時代になったので騒擾事故が起こる可能性はゼロと言えるでしょう。
児島競艇場騒擾事件のまとめ
※ストーリーはイメージです
観客A:このレースは間違いなく当たるだろうなぁ~
観客B:全財産を注ぎ込もう!
観客C:今夜は焼肉じゃ!
観客A:あれ?なんかおかしくない?
観客B:絶対あの艇が来なければおかしい…はず…
観客C:今夜はモヤシか!?
観客A:…は、はずれただと?八百長か?
観客B:絶対的本命艇なのに変だ。おかしい。
観客C:そ、そうだそうだ!ヤラセだー!
主催者(倉敷市):みなさん落ち着いてください!
観客A:うるせー!お前らが仕組んだんだろ!?みんな、やっちまえ!
観客B:今日は負けて気分が悪いんだよ!オラオラー!
観客C:僕の焼肉代を返せー!
主催者(倉敷市):わかりました、それではお金を戻すのでそれで勘弁してください…!
観客A:仕方ねぇなぁ…
観客B:今日はこれくらいで勘弁しておいてやる!
観客C:僕の焼肉代を返せー!
運輸省:客が暴徒化したからって現金を支払ってはいけないよ。そんなことをしたら前例になっちゃうし、客も暴れれば舟券代を返還してもらえるって思っちゃうからね。競走法にも書いてあるし一ヶ月間開催停止の処分にする。(周りの目もあるし…)
主催者(倉敷市):そ、そんなぁ…SGも控えてるのに…
その後、全国の複数の競艇場で観客の騒擾に対して同様に現金の返還という対処がされ、運輸省から一ヶ月間開催停止の処分が下りました。
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