ボートレーサーで2ちゃんねらー(現在5ちゃんねる)という人物は非常に稀です。
2020年6月、埼玉の重鎮で2ちゃんねらーの池上裕次が引退を発表しました。
2020年6月 戸田天皇が引退を発表
ボートレーサーの柳澤千春は元妻。
スローが得意な選手でとにかく地元水面(戸田競艇場)で強い。
埼玉の重鎮でもあった池上裕次が惜しまれながらも引退しました。
登録番号 | 3245 |
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生年月日 | 1964/09/13 |
身長 | 164cm |
体重 | 55kg |
血液型 | O型 |
支部 | 埼玉 |
出身地 | 埼玉県 |
登録期 | 58期 |
級別 | B1級 |
埼玉支部の55歳のボートレーサー、池上裕次が引退となりました。
この(元)選手は様々な逸話を持っているのでいくつか紹介していきます。
1964年9月13日、福島県の現在いわき市に生まれた池上裕次ですが母の弟である叔父も競艇選手の皆川武で、小学生の頃にはすでに競艇選手になろうと目指していたようです。
この叔父さんの影響が大きかったのでしょう。
埼玉で育った後には出生地である福島県いわき市に移り戻ります。
高校中退 そして落ち続けた競艇学校入所試験
福島県の高校に進学するも1年生の時に「どうせ大学には進学しないだろうから」という理由で中退します。
当時、大学進学は今ほど多くはなかった時代だったのでしょう。
高校を中退後は自動車向上でバイトをしながら競艇選手を目指しました。
中退の大きな理由も「競艇選手になりたいから」とい理由が大きかったのでしょう。
競艇選手になるにはまず、競艇学校を卒業する必要がありますがこの競艇学校にも入所試験があります。
これの何度も落ち着続けた池上裕次は家族からも競艇選手への夢を諦めるように強く説得されます。
しかし「競艇選手以外の人生は考えられない」と受験を続けて6度目でようやく合格にこじつけました。
1985年に58期生として競艇学校に入所し、厳しい訓練を終えたのち、模擬レースでは勝率1位を記録したのでした。
試験には落ち続けた池上でしたが競艇の実力はピカイチだったのですね。
そしてデビューへ
現在は成績によってB2級からA1級の4つの級別に分けられていますが当時はC級からA級までの3つの級しか存在していませんでした。
デビューしたばかりの選手はC級(現在でいうB2)から競艇選手としての第一歩がはじまるのですが、デビューからわずか半年でA級に昇級しさらにデビューから3年目には3度の優勝で最優秀新人賞を獲得したのでした。
戸田天皇の異名
1991年に地元・戸田競艇場の35周年記念競走でG1初優勝を獲得、その後2000年に現在のボートレースダービーとなる全日本選手権でSG初優勝を遂げました。
なお、このダービーでは競艇史上初となる同一年度にSG4連覇をかけて西島義則が出場していました。
池上裕次は戸田天皇とファンから呼ばれることが多いのですがその理由は、これまでに優勝したSG[1勝]とG1[5勝]の開催地がすべて戸田競艇場だからです。
逆に戸田競艇場以外ではSGやG1の優勝がないこともあり、とにかく地元・戸田競艇場を走らせたら日本一と言われる時期までありました。
埼玉支部の選手の中でも一般戦を含めた戸田競艇場での優勝回数は一番多くなっています。
池上裕次が2ちゃんねらーの真相
意外かもしれませんが池上裕次は本人も認める2ちゃんねらーです。
過去にSGやG1の閉会式において「2ちゃんのおまいら!ありがとう!」「萌え、2ch、マンセー
」「キボーン」 など2ちゃん用語で挨拶をすることもありました。
このような経緯から2003年のボートレースオールスター(投票によって出場選手が決定)では2ちゃんねらーの間で「池上裕次をファン投票で1位にしよう」という運動を行いました。
この時、池上が閉会式で「さいたまさいたまバッジ」をファンに投げ込みました。
ボートレースダービーにおいて
沢山の御投票、誠に有難う御座います。
特に2ちゃんのおまいら!ありがとう!
「そんな記念に、さいたまさいたまバッチをプレゼントします?」
♪さいたまさいたま~
その時の動画がこちらです▼
また、池上裕次がボートレースオールスター(戸田開催)で優勝した時に涙した動画もありました。
引退の理由
2020年3月、コロナ渦の中で行われたレースで負傷してしまい、4月26日の平和島・一般戦を最後に欠場が続いていました。
このまま復帰をしても自らが納得できるレースができないと思い、引退を決意したのでした。
なお、ボートレーサーとしての目標は「すべて勝つこと」でした。
現実的には不可能ですがそれくらいの心意気でいたことが見て取れます。
池上裕次が引退された後の活躍も願っています。
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