いつになっても八百長の噂がなくならない競艇業界。
このサイトにも【競艇 八百長】というキーワードでたどり着いている人が多い模様。
八百長と一概にいってもその概念は人それぞれ。
八百長とは
真剣に勝負を争うように見せかけ、実は前もって約束しておいた通りに結末をつけること。転じて、なれあいで事を運ぶこと。
いわば出来レース。競艇以外に相撲、競馬や競輪などの公営ギャンブルにも八百長の話題がつきもの。ほとんどの八百長にはお金が絡むことは言わずとも想像できる。
これは八百長?アウト?セーフ?
競艇で「どこからどこまでが八百長?」「何をしたら八百長?」という疑問に対して線引をしてみる。
■同じレースに出走する選手同士で「お前は2着ね。お前は4着。俺が6着になるから」などで話を擦り合わせる。
→完全アウト。まさに八百長で発覚すれば関わった選手全員クビ。
■同じレースに地元選手同士の先輩・後輩が入り言葉を交わさずに1枠の後輩選手が6枠の先輩選手にインコースを譲る。
→グレーゾーン。八百長と言われる理由の一つだが競艇の醍醐味でもある。
■イン逃げ失敗や1号艇のインからスタートどか遅れ。
→セーフ。八百長ではなく選手の技術的ミス。いわば技術的ミスをする選手を予想してしまった人自身の読み違い。
■6号艇アウトコースの唯一の階級下選手が捲ってそのまま優勝。勝てるはずがないレースだった
→セーフ。これを八百長と呼ぶなら競艇はできない。
■引退選手が出走する現役最終レース。引退選手は1着だった。
→グレーゾーン。これを八百長とみるのかこれを含めての予想をするべきかは人それぞれ。
“やり・やらず”が八百長を疑われる原因であった
上記にも記載したように一部では厳しい先輩・後輩関係が存在しているのが競艇の世界。
1号艇に後輩選手、3号艇に先輩選手が入り先輩選手が後輩をかばって逃げがちさせるケースも存在している。
それと似た形で引退レースではホシを譲るということもなくはない。最後くらいは…と思うのが人間だが最後だからこそ真剣に戦ってあげようと思う選手もいる。
さらに地元選手同士。同じ地元ともなれば仲間意識があり、お互い目に見えない信頼・信用で相手をサポートしたりすることもあるがこれに関してあくまで言葉は交わさない。
これが俗にいう「やり・やらず」だ。
簡単に言えばどうせ勝てないと分かっているレースにおいて知り合い選手や身近な選手が同じレースに出ていればその選手にとって有利に働くようにする行為。
これは「好意」や「情」なので八百長にはあたらない。
選手が八百長をしない理由が「大きすぎるリスク」
競艇学校に入学するには難関を乗り越え、高い倍率をクリアする必要がある。学校を卒業して晴れて競艇選手になれる。
A1階級の選手であれば高給取りなのは明らかだ。
そんな選手がたった1度の八百長で選手生命を奪われるかもしれないのに八百長を選択するなんて思えない。
最も階級下のB2選手でも年収500万円ほどがある。A1階級ほど年収が高くないこの階級の選手なら八百長をしてもおかしくないと考える人もいるだろう。
しかしB2階級が出走するレースではそもそも投票金額がA1階級選手が出走するレースに比べて圧倒的に少ない。
そんなレースで八百長をしたところで話をふっかけた人もふっかけられた人も小さなお小遣い程度にしかならないだろう。
上記の事から安定した高い収入を捨てて、選手生命も絶たれていいと思う選手が八百長をするということになるが、それでも八百長という選択肢を選ぶ選手はいないことは明確だ。
そもそもそんな考えの選手は競艇学校の入試で落とされているくらいの人格だろう。
結論:競艇で八百長を疑うのは負けた人の言い訳
結論として八百長を疑う人の原因はここにたどり着く。
勝った人が「八百長だ!八百長だ!」と言っているのを見たことがない。
自分の大切なお金を時間をかけて予想して注ぎ込んだのに見事にハズレ。ともなれば人のせいにしたくなるのが人間の性。
ようするに競艇を八百長・八百長と言う人は競艇予想が下手くそな人なのだ。
自ら競艇予想が下手だと公言するその恥ずかしい行動は評価できるものではないし、傍から見ればものすごく出来の悪い人間に思われてしまう。
八百長だと思っていても競艇を止めない理由どこにあるのか?
それはまた勝てる時がくると思っているからだ。
恥ずかしいので八百長は思っていても心の中で叫んだ方がいいだろう。
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