回復力だけでなく精神力も優れたレーサー 植木通彦
植木通彦(うえき みちひこ)、元ボートレーサー。1968年生まれ、現在はボートレーサー養成所所長。
1986年、18歳でデビューした植木氏が選手生活3年目で大怪我を負いました。競艇をする人にはぜひ知っておいて欲しい人物です。
プロペラで顔面を切り刻まれる重傷
20歳だった植木氏は聞くだけでゾっとしてしまう事故に遭ってしまいました。
1989年1月16日。成人式の翌日の桐生競艇場でのレース。
スタート直後の第一ターンマークにおいてまくったところで操縦ミスをおかしてしまい、転覆。
当時のことを本人は過信・勘違いしていたかもしれないと語っています。
直後に後続する艇のプロペラが植木氏の顔面を直撃します。
プロペラの回転速度は…想像するだけで分かりますよね。
人間やエンジンを乗せて船が時速80キロのスピードに乗れるのはプロペラがあるからです。そんな強力なプロペラが直撃をする、命に関わる可能性も否めません。
顔面75針を縫う大怪我
顔面を75針も!?想像できないのは当然のことです。
事故直後、すぐに桐生市内の病院に運ばれ緊急手術。全身麻酔ではなく、部分麻酔での手術のため医者のやりとりなどすべて聞こえていました。本人談によると右に針を刺されているはずなのに左側がチクリとしたり、神経もグチャグチャになっていたと予想されます。
手術は成功したものの、術後は顔が腫れているため目を開けることが出来ません。もちろん激しい痛みも襲ってきます。真っ暗の中で不安や恐怖を感じる入院生活。
ようやく視界に光が差し込んだのは2,3週間後。この時すでに復帰について考え始めたようです。ものすごい精神力。それと同時に、運悪く植木氏を怪我に巻き込んでしまった後続レーサーの心情などを汲み取っての考えだったのでしょう。
その後、全身麻酔で頭蓋骨を鼻の骨に移植するための手術を行ったりと想像を絶する苦しみを味わいながら治療に専念しました。
そして復帰戦
レース復帰はなんと3ヶ月という短い期間でした。
競艇では負傷した競艇場での復帰を避ける選手がほとんどです。負傷事故がフラッシュバックしたり、わざわざ恐怖心を抱いている競艇場で走りたくないのは当然のこと。
しかし植木氏が父親の提案のもと、復帰する会場に選んだのは事故が起きた桐生競艇場でした。
自分を奮い立たせるためにも復帰戦に桐生を選んだのです。
この経緯から植木氏は【不死鳥】と呼ばれることになりました。
何よりも関心したのが怪我をした本人以上に事故に巻き込んでしまったレーサーに迷惑をかけてしまったと語る植木氏。
誰にもわからない苦しみや不安よりも先に周りへの迷惑を第一に考える素晴らしい人間です。
引退した現在は各競艇場のG1などのイベントでトークショーを開催しています。
ぜひ植木通彦氏がお近くの競艇場に来場した時にはトークショーに足を運ばれることを強くおすすめします!
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